隆慶一郎さんの本

kmQsan2006-08-22


影武者徳川家康」から読み始めた隆慶一郎さんの本ですが、全て読破して連載中の「花と火の帝」まで追いついた時、隆慶一郎さんが若くして亡くなりました。この時は”隆ワールド”に浸っていた私としてはショックでした。絶対にお勧めの隆慶一郎さんです。

●『影武者 徳川家康
 慶長五年関ケ原。家康は島左近配下の武田忍びに暗殺された。家康の死が洩れると士気に影響する。このいくさに敗れては徳川家による天下統一もない。徳川陣営は苦肉の策として、影武者・世良田二郎三郎を家康に仕立てた。しかし、この影武者、只者ではなかった。 かつて一向一揆で信長を射った「いくさ人であり、十年の影武者生活で家康の兵法や思考法まで身につけていたのだ…。(新潮文庫上巻解説)
 関ケ原で見事な勝利を収めた徳川陣営。 しかし、嫡子・秀忠による徳川政権が確立すれば影武者は不要となる。その後の生命の保障がないことを知った影武者・二郎三郎は、家康を斃した島左近を軍師に、甲斐の六郎率いる風魔衆を味方に得て、政権委譲を迫る秀忠、裏柳生と凄絶な権力闘争を始めた。そして、泰平の世を築くため、江戸・大坂の力を拮抗させるべく駿府の城の完成を急ぐ。(新潮文庫中巻解説)
 いまや二郎三郎は、秀忠を自在に操る家康なみの智将であった。彼の壮大な夢は、江戸・大坂の和平を実現し、独立王国=駿府の城を中心に自由な「公界」を築くことだった。キリシタン勢力を結集した倒幕の反乱を未然に防ぎ束の間の平安を得るが、秀忠の謀略から遂に大坂の陣の火の手が上がる。自由平和な世を願い、15年間を家康として颯爽と生き抜いた影武者の苦闘を描く渾身の時代長編。(新潮文庫下巻解説)

●『吉原御免状』 
 宮本武蔵に育てられた青年剣士・松永誠一郎は、師の遺言に従い江戸・吉原に赴く。だが、その地に着くや否や、八方からの夥しい殺気が彼を取り囲んだ。吉原には裏柳生の忍びの群れが跳梁していたのだ。彼らの狙う「神君御免状」とは何か。 武蔵はなぜ彼を、この色里へ送ったのか。 ―吉原成立の秘話、徳川家康影武者説をも織り込んで縦横無尽に展開する、大型剣豪作家初の長編小説。(新潮文庫解説)

●『かくれさと苦界行
 徳川家康より与えられた「神君御免状」をめぐる裏柳生との争いに勝ち、松永誠一郎は色里・吉原の惣名主となった。だが、一度は敗れながら、なお執拗に御免状を狙う裏柳生の総師・柳生義仙の邪剣が再び誠一郎に迫る。加えて吉原を潰すべく岡場所が各所に乱立し、さらに柳生の守護神・荒木又右衛門も江戸に現れた。ついに吉原と裏柳生全面対決が―。圧倒的迫力で描く時代長編。(新潮文庫解説)

●『花と火の帝』(未完)
 後水尾天皇は十六歳の若さで即位するが、徳川幕府の圧力で二代将軍秀忠の娘、和子を皇后とすることを余儀なくされる。「鬼の子孫」八瀬童子の流れをくむ岩介ら“天皇の隠密”とともに、帝は権力に屈せず、自由を求めて、幕府の強大な権力と闘う決意をする…。著者の絶筆となった、構想宏大な伝奇ロマン大作。(講談社文庫上巻解説)
 徳川家康、秀忠の朝廷に対する姿勢は禁裏のもつ無形の力を衰弱させ、やがて無にしてしまうことだった。「禁中並公家諸法度」の制定や「紫衣事件」などの朝廷蔑視にあって、帝は幕府に反抗し、女帝に譲位し、自らは院政を敷くことにする…。波瀾万丈の生を歩まれる後水尾天皇を描く、未完の伝奇ロマン。(講談社文庫下巻解説)

武田鉄矢さんの本

kmQsan2006-08-17

お薦めの本「母に捧げるラストバラード」
●”中年こそ荒野をめざす”から
人生を一日で例えるなら、年齢を3で割った数字が時間である。18才の人は朝の6時、36才が正午、45才は15時(午後3時)、60才は午後8時というぐあいである。
眠りから覚めて早い人は15才(朝5時)から社会人となり、36才で人生の真ん中、まだまだ人生はこれから本番という年齢です。希望に満ちた年齢を通過して、45才ぐらいになると3時のおやつの時間、おいしいおやつ(浮気、博打など)を食べたくなる年齢です。離婚があったり、道を誤る人も多くでます。ここを過ぎると、人生の黄昏時になってきます。冬時間の人は5時(51才)ごろには暗くなってきます。反面、夏時間の人は8時(60才)ぐらいまで明るい時間を持っています。例外として長島茂雄さんなどは北欧の夜のない一日のようなもので、おそらく死ぬまで太陽が出ている人かも知れません。

果たして自分は夏時間でしょうか?。冬時間でしょうか?。又、北欧時間でしょうか?ただ北欧時間も昼ばかりの人と、夜ばかりの人があります。人生を一日に例えて見てみることも面白いと思いました。

●”中年期は中年鬼、少年期は少年鬼”から
六ヶ月近くもかかって、木製の戦艦大和の巨大モデルを完成させ、池に浮かべて、空気銃で撃ち抜く中学生が近所にいました。沈まぬ大和に苛立ち、私達小学生に「石を投げて沈めろ」と命じ、泣きそうな顔で、自分も石を投げ続ける中学生でした。
 少年のあの頃、完成させたものを一瞬のうちに破壊することが、いちばん夢中になれる物語でした。
 完成を拒否するーこの少年の心が、「鬼」を呼び寄せるようです。
 「鬼」が少年には必要なのです。何故なら、完成されてしまえば、少年は幼い老人として人生を終了してしまうからです。
 少年は「鬼」を呼ぶ。幼い老人になることを拒否するために。そして「鬼」と「死」へ接近する。

という説を展開して、「鬼」は必要悪の存在だと言います。自己の心の深層に棲む「鬼」と出会う危ない瞬間が人生には必ずある。それは大人になるための大切な洗礼だとこの本は述べます。又、中年期に、もう一度、この「鬼」は現れます。危険な中年期のことも述べられていますが、読めば面白い本です。

堺大魚夜市

kmQsan2006-08-07


7月31日、堺の大魚夜市(オオウオヨイチ)に何十年ぶりかで行ってきました。幼い頃は浴衣姿でうちわを持ち、風呂上りに天花粉(テンカフ)を一杯かけてもらって、家から下駄を履いて家族でで出かけたものです。夜店で遊び、夜遅くになると花火が上空に上がり堺の夏の風物詩として欠かせないものでした。帰り道でかき氷や氷くるみ餅を食べるのも楽しみでした。久しぶりの大魚夜市で、昔の”のどかさ”はありませんでしたが、開催の皆さんの熱気が良い雰囲気の夜市にしていました。伝統の行事を続けていく意気込みを大いに感じて帰りました。来年も行きたいと思っています。

ちく満そば

kmQsan2006-06-22


堺で”そば”といえばちく満のせいろそば。創業は1600年ごろと聞いています。
せいろで蒸したもりそばを、生卵を溶いた温かいダシにつけて一気にすするのが正しい食べ方。一斤(いっきん)、一斤半(いっきんはん)、2斤(にきん)と注文します。最後はだし汁の入ったお椀にそば湯をそそいでお吸い物にして飲みます。
(注)席に着けば、お店の女性が「何斤になさいますか?」とだけ聞きにきます。「お品書き」はありません。せいろそばだけです。何斤とだけ言えば”そば”が出て来ます。メニューから選べないというのも初めは戸惑いますが慣れれば案外楽なものです。一品だけの商売で400年は凄い味です。
ちく満そば
堺市堺区宿院町西1-1-16 TEL072-232-0093
営業時間 : 10時30分-21時 定休日:月曜
収容人員 : 100名 駐車場 : 有り(30台)

くるみ餅

kmQsan2006-06-21


ホームページで「かん袋の由来」を見ると
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。・・・・・
長い歴史が証明しているように一度食べたら病み付きになる味です。
特に「氷くるみ餅」は絶品です。700年近い歴史が「おいしいやろ!」と呼びかけてくるような気がします。
ちなみに料金は
くるみ餅 1人前(シングル)336円(氷くるみ餅も同)
くるみ餅 2人前(ダブル) 672円(氷くるみ餅も同)
とそんなに高くはありません。堺に来たら一度はお越し!。

(株)かん袋 590-0964 堺市堺区新在家町東1-2-1 ℡072-233-1218
http://www.kanbukuro.co.jp/

名古屋城

kmQsan2006-06-20


先週、名古屋に行ってきました。フォーラムの開催会場は名古屋城のすぐそばでお城が正面に見えました。有名な金のシャチホコ(右上の万博時の写真)は純金製だと思っていたのですが金箔だと教えていただきちょっとがっかり!。上の写真は、ホテル内部の照明と自然に合成されて、名古屋城から光線を発しているようなSF映画の一シーンになりました。